2日目

コース: 高山→R158・R156→御母衣湖・荘川桜→R156→白川郷東海北陸道北陸道→金沢森本→能登道→なぎさドライブウェイ→能登道→金沢・兼六園

  • 出発時は曇っててがっかりだったが、R158の峠を一つ越えたらあっさり快晴。
  • R158(飛騨清見荘川)は空いてて飛ばせる気持ちいい道。
  • 御母衣湖でけぇ。
  • 白川郷はまあ観光地だわね。大内宿を一回り大きくした感じ。観光地なりに楽しめるので悪くはない。
    • 神社の絵馬は当然ひぐらしに汚染されてるわけでw
    • 神社併設のどぶろく祭資料館はちょっと面白かった。
    • 国重文の和田家よりは明善寺庫裡のほうが観て面白かった。
    • 昼飯に蕎麦を食ったが、出る時にウェストポーチを忘れてて後でパニクる(汗)
    • 道の駅白川郷CLANNADの風子な痛車白川郷内にはあずにゃん痛単車
  • 千里浜なぎさドライブウェイは楽しい。踏み固められた部分はオンロード車でも普通に走れる。折角だからスタンディングで走ってみたり。若干凸凹があるので、調子に乗って飛ばすとフロントサスがフルボトムしてがつんといくが(^^;) あと波打ち際近くはさすがにオフ車専用。
  • 兼六園は豪華。隣接の成巽閣は豪勢。高山もそうだけど、こういう江戸・京都の影響を色濃く受けた古都は田舎者には眩しい。
  • 2日目の宿はR&Bホテル。大手チェーンだからか満足度は高め。場所が繁華街(駅の東側)とは反対(西側)なので、チェックイン後に遊びに行きにくいことだけは残念。
  • 夕飯は金沢カレー…というのもちょっと考えたが、ジャンクすぎる気もしたし(^^;)駅前によさげな店が見当たらなかったので回転寿司。折角だからマグロはほっといてブリとかホタルイカとかノドグロとかをがつがつ。

1日目

コース: 自宅→東名→御殿場→R138・東富士五湖道路・中央道・長野道→松本→R158・R471→新穂高ロープウェイ→R471・R158・r26・r39→野麦峠→r39・R361→高山

  • 5時前に出発。さすがに渋滞はなかった。
  • 上高地も行ってみたかったが、今回は予定を立ててなかったのでパス。行くならそれで初日完了になるような計画にしないとな。
  • 安房峠のR158旧道は酷道として有名だが、今回は時間と気力が無かったのでおとなしく安房峠道路を利用。
  • 新穂高ロープウェイは西穂高方面への登山口でもあるため、私のような観光客とガチな登山客が混在。観光用の「登って降りるだけ」なロープウェイは何箇所か行ったことがあるが、ここは割と良いほうだと思った。
  • r39はそれなりに険しい道。野麦峠ではとりあえず乗鞍を向いて「あぁ飛騨が見える」と呟く(合掌)。折角だから資料館にも入ったが寂れまくり。
  • 道の駅ひだ朝日村で、ツーリングマップルに書いてあったよもぎうどんを食す。マジで美味かった。
  • 高山の桜山八幡宮高山祭の資料館など見物。こういうのを見ると実際に祭を見物したくならなくもないが、超絶に混むだろうなぁ。
  • ホテルは駅前のビジネスホテル。広さ(狭さ)とか設備とかが今ひとつ。
  • 夕飯は折角だから飛騨牛。ウマー
  • 商店街はシャッター化しておらず盛況。

友人の死

友人のS氏が亡くなった。本日告別式。



彼とは10年来の付き合いだった…と思う。どこで出会ったのか、正直はっきりとは覚えていない。当時の私はMtGプレイヤーで、そのサークルの仲間に紹介されたのが最初だったと思う。
それ以来、年に何度か、彼を含む仲間達で旅行(という名のゲーム合宿)に行くのが恒例になった。当時沼津に住んでいた私が車を出し、メンバーが所有する別荘へ出かけて、そこで4〜5日間、呑んで食って持参したボードゲームを遊び倒すという生活。
彼はとにかくよく呑んだ。ビールは殆ど飲まず、専ら日本酒と焼酎とワインを好んでいた。7〜8人で合宿に行って、毎日2本はワインが空いた(そのうちの半分は彼が消費した)。加えて料理が上手かった。彼の指示した食材を調達し、彼が飯を作り、残りのメンバーで後片付けをする、というのがいつしか定番になっていった。

私が関東圏に転勤になり、車を売却し、MtGから足を洗っても付き合いは変わらなかった。その頃には他のメンバーも、遊ぶのはボードゲームが主体になってきていた。土曜に新宿に集まり、やっぱりゲームで遊んで、そして呑んで食って、ということを毎週のように繰り返した。
彼は相変わらず酒が強かった。呑んでも酔った様子が全くなかった、のか、あるいは常に酔っていたのか。彼に釣られるように、私達は皆酒が強くなっていった。というより、酒に強くない人は付き合ってられなかったのかもしれない。彼に勧められた茅台酒は、あまりの強さとクセのある香り故、最初は皆敬遠していたが、繰り返し呑むうちに慣れてきた。むしろ、他の白酒(パイチュウ)が呑めないぐらい贅沢になってしまった。数人で中華料理店に行った時は、全員で茅台酒を1瓶空けるのが普通だった。
相変わらず合宿にも行った。レンタカーを借りて別荘に行き、呑んで食って遊んだ。彼は電車で来ることも多かった。「車だと行き帰りに酒が飲めない」という理由で。同行した友人によると、特急の駅毎に車内販売の酒を買い足していたとか。新幹線に乗って長距離旅行した時には、車内販売のワインの瓶を売り切れにした、という武勇伝も聞いた。
そして彼は自由人だった。どういう訳か睡眠は殆ど取らず、飯は殆ど食べず(但し舌は非常に肥えていた)、常に酒を飲み、常に周りを巻き込んで騒いでいた。ゲームは正直それほど強くなかったが、それでもプレイするのは好きで、私達が長考するとすぐせっつき始めた。そもそもじっくり考える系のゲームは嫌いで、直感に従ってプレイしていたように思う。

転機は2年前だった。
その春、彼は突然会社を辞めた。当人は「会社がつまらなくなったから」と笑っていた。自由人な彼を知っていた私達は「まああいつだしな」と思っていた。彼が言うことはなかったが、本人もご実家も相当の資産を持っているようであったし、無職…というかニートになっても生活に困った様子は全くなかった。
そしてその年の秋合宿の夜、彼が倒れた。翌日病院に見舞いに行った際には面会謝絶だった。駆けつけていたお母様から、静脈瘤破裂だと聞かされた。つまり彼が会社を辞めたのは体調が理由だったのだと、後になって悟った。
幸い彼は回復した。後日、入院中の彼を再び見舞いに行った。ベッドで上体を起こした彼は相変わらずの口調だったが、それでも少し弱くなったように見えた。

しばらく後に彼は無事退院し、土曜の定例会にもまた顔を出すようになった。但し酒は止められていた。再度静脈瘤が破裂したら命の保証はない、と聞いていた。そもそも一度目の時も、もし救急車を呼ぶのを躊躇していたらやばかったらしい。
退院した彼は明らかに老けていた。顔つきが変わっていた。しわが増えていた。白髪も増えていた。酒は呑めないのに相変わらず飯を食わないので、正直どこでエネルギーを摂取しているのか不思議だった。
それでも自由人ぶりは相変わらずだった。一応ハローワークに顔は出していたらしいが、再就職する気はさらさら無さげだった。酒じゃなく辛いものを食べると、それがたとえ甘口カレーのレベルであろうとも、酔ったように愉快な行動を取り始めた(隣に座ってる奴に噛み付くとか)。

ある意味で、彼は徐々に回復したように見えた。いつしか酒もまた呑むようになった。その一方で、やはり行動には多少なりとも変化があった。飯は少し食べるようになり(とは言え常人の数分の一だが)、夜も少し寝るようになった。そして、土曜のミーティングに顔を出す頻度が下がった。釣られるように、ミーティングに人があまり集まらなくなり、開催頻度も下がった。
そして6月末を最後に、彼からのメールが途絶えた。しばらく前から、ミーティングの案内を流してもろくに反応が無かったので、それほど気にしていなかったのだが。もっとも、以前は夜中に迷惑メールを投げてくることも稀ではなかった。例えば、今どこそこで呑んでるから来い、ってのが深夜1時頃に。

7/21の午後。お母様から突然の訃報がメールで届いた。
以下、後から聞いた話。彼はご両親と離れて独居していたが、毎週日曜にはご家族が集まって食事をしていた。しかし、7月頭ぐらいから、ご両親のメールに返事が来なくなったらしい。その直前に彼が携帯を無くして交換しており、また彼がご家族を部屋に入れたがらなかったこともあり、始めは放っておいたのだが、それだけ長期になると心配になり、部屋を訪れたところ既に亡くなっていたそうだ。このご時世に、TVも電気もエアコンもつけっぱなしで。
訃報を聞いた私達は酷く動揺した。それと同時に、私はああそうか、とも思った。彼が老けたように見えたのは、年齢(私より10歳年上)だけでなく体のせいでもあったのだなと。これも後から聞いた話だが、彼は2年前から肝臓を痛めていたのだそうだ(むべなるかな)。それでも、彼の口からそれを聞いたことはなかった。だから、彼の生活からして、いつか体を壊して死ぬだろうなとは漠然と思っていた。ただ、それがこんなにも早く突然にやってくるとは、私達の誰一人として想像していなかっただろうと思う。

告別式にて、彼のお母様を始め、お父様やご兄弟と対面した。亡骸を発見した時のことも伺った。死因は結局よく分からなかったとのこと。
彼は仲間内でも一番のゲーム所有者で、彼の部屋には箱が山積みになっていたようだ。今となっては入手困難なゲームも多数あり、私達にとっては宝の山なのだが(そしておそらくご家族には無用の代物)、形見に引き取れないか? と伺ったら「臭いがついてしまっていて…」とのこと。つまりはそういうことだったのだろう。勿体無いったらありゃしねぇ。そんなところも奴らしいな、と思った。
告別式は寺で開かれたが、宗教が嫌いだった彼に合わせて無宗教形式で行われた。参列した私達友人一同は一言ずつ、金曜のうちにお骨になった彼に向かって別れを告げた。同様に宗教を信じていない私は、天国で安らかに、などとは言わなかった。つまるところ葬式は遺された生者のためのものだ。
式後の宴席で、彼の弟さんの音頭で(あえて)「乾杯」した後、弟さん妹さんに、私達が知っている彼の姿を話した。彼はご家族には友人関係のことをあまり話していなかったらしく、上に書いてきたような思い出話を興味深そうに聞いてくださった。逆に、残念だが私は彼の家庭での姿を知らない。ただ、彼はご親戚からは非常に可愛がられていたとのことで、それは私にも「そうだろうな」と思わせることであった。

以上、彼との出会いから別れまでの、私の思い出を綴った。事実関係に誤りがあればご指摘ください > 友人各位
独り者だった彼は、自他共に(ご家族も)認める自由な生活で半世紀ほど好き勝手に生き周りを振り回した挙句、ひっそりとあっけなく逝ってしまった。知らない人から見れば「ニート孤独死」。だが、彼がどう思っていたかはともかく、ある意味で羨ましい生き方・死に方ではあった。自分がそう生きたい・逝きたいかは別として。
だから私は、やかましかった彼のことをたまには思い出しながら、少し寂しくなった世界で何とかやっていくのだ。
さよなら、Sさん。

少し被災地、の1ヶ月後(宮城)

日曜の朝は快晴。バイクで走りたかった…と思いつつ、朝飯を食って宮城の妹宅へ向かう。
再び東北道宮城県内に入ると、明らかに道が荒れている場所が出てくる。ひび割れを埋めたり、段差を直したりした跡が所々に見られる。

妹宅に行く前に、大河原の一目千本桜へ寄り道。やや散り掛けだが、それでもそれなりに人出があった。もっとも、例年どうなのかを知らないから比較はできないが。

しばし観桜後、再び妹宅を目指す。東北本線に掛かる橋の上から、新幹線リレー列車の赤い車体が見えた。
道の状況は、R4はそれほどでもないが、県道に入ったら荒れてきた。応急の補修はされているが、東北道以上に凸凹が残っており、所々で車の流れが悪くなっている。

昼前に妹宅に到着。こちらも家は無事な様子。震災直後は電気やガスが止まってしまい、風呂にも入れなかったのが厳しかったとのことだが、今ではもう回復していた。2台持っていた車のうち、職場に乗っていった1台は津波で流されてしまい、残った1台で用を足しているとか。そんな訳だから、中古車がばんばん売れている、なんて話も聞いた。
仙台の会社に勤めていた妹は、震災の影響で会社が都内に移転してしまったため、3月末をもって退職。今後どうすんの? と聞いたら、今年1年間はPTAの仕事も受け持っているし、とりあえずゆっくりすると言っていた。
一方、義弟のほうは仕事でまあいろいろと活躍したらしく、新聞にちょっと記事が出ていたり、報道番組のインタビューを受けていたり。*1

帰りに三春滝桜に寄っていくつもりだったため、お茶を飲むのもそこそこに、近くの牛タン屋へ移動。そこまでの街中で目に付いたのは、破損した瓦屋根。空き家なのか、壁が壊れたまま放置されている家も見かけた。津波で川を流されてきたらしい軽自動車が、橋の下に止まっている、なんてのも。
分厚い牛タンを平らげ、妹に見舞を渡して辞去。ちょっと滞在時間が短かった。本当はもっとゆっくり話がしたかったのだが…。

再び東北道に乗り、磐越道を経て*2三春滝桜を目指す。しかし、超渋滞にハマる。例年だと、三春の町内にある駐車場に車(バイク)を停め、そこからシャトルバスに乗っていく、という手を使っているのだが、今年はシャトルバスの運行は無し。必然的に滝桜の近くまで各自の車で行くしかないため、それはもう酷いことに。しかも途中から雨が降り始める。
レンタカーの返却時間のこともあるし、諦めて帰ろうかとも思ったが、結局1時間ほど我慢して駐車場に到着。傘をさして滝桜まで歩く。

今年も美しく咲いていた。

設置されていた募金箱にいくばくかの金を入れ、帰途につく。返却時間が迫っていたので、休憩は最小限。渋滞は若干あったが、それでも3/11以前には及ばない。渋滞は困り者だが*3、人出が少ないのは観光地も困るよな、などと思いつつ。
レンタカー返却後、自宅に帰ってそのまま就寝。今回借りたFit Hybridはなかなか良い感じだった。発進・加速時にモーターがアシストしてくれるので、あまりストレスなく走れる。実用性を考えればいい選択。二輪ならスクーター的存在というか。

*1:余談だが、再現映像と明示されているとは言えやはりいろいろと脚色はあったそうなw 普段は着てないけどスーツを着て撮影に臨んだ、とか

*2:磐越道のほうが東北道より荒れていた

*3:休日1000円ぽっきりコースが無くなればマシになるかな、と期待

少し被災地、の1ヶ月後(福島)

週末、福島県内の実家と、宮城県内の妹宅を訪問してきた。どちらも震源地からはやや遠く、家屋に直接の被害は無かったと電話では聞いていた。それでも、両家の様子も含め、街が1ヶ月でどう変わったかを自分の目で見ておきたかった。
予定では、いつものようにバイクで行くつもりだった。しかし週末の天気予報は雨。仕方が無いので、レンタカーで行くことに変更。

横浜を正午頃に出発し東北道へ。雨は強くなったり弱くなったり。それはそれとして、走った感じでは地震の被害は見られなかった。道路のひび割れの跡なども気がつかない。
高速は無事なら一般道は? ということで、白河で高速を降りてR4に。しかし、こちらもやっぱり影響は見えない。気がついたことと言えば、道路情報に「原発から20km以内進入禁止」の表示が出ていたことぐらい。途中でスーパーにも立ち寄ったが、皆がみんなマスクを掛けてるとかいうこともなく。

実家に帰る前に、郷里の桜の名所に立ち寄る。例年はタイミングを外していたが、今年は丁度満開だった。夕方だがライトアップも無く、雨のため人出も無かったが、桜のトンネル状態の道をゆっくりと走り抜けてきた。

夕方に実家着。家も家族も、ぱっと見には正月に帰省した時と変わっていなかった。両親の話では、水道・ガス・電気等は震災直後も影響は無かったとのこと。ガソリンは一時期品薄だったが既に回復。ただ、野菜が高価。県内産品が出荷できないから、ということだろうな。
問題の放射線だが、実家のあたりは現状数μSv/h。父は「放射線は今後長い時間を掛けて減っていく」「今後放射性物質が新たに放出されなければ、強度が増えることはなく、自分達への影響は小さい*1」程度のリテラシーを持っていたので、その意味では安心した。

夕飯を食い、風呂に入って就寝。夜中にも余震があったが、やはりこの辺りはまだ多いとのことだった。

*1:影響が出る程の放射線(積算量)を浴びる前にお迎えが来ている、という意味で。でも甥(両親から見て孫)は遊びに来させられないよね、とも言っていた

吉野家コピペ

[twitter:@sakuro]がなにやら募集してたので書いてみた。

昨日、近所のイトーヨーカドー行ったんです。イトーヨーカドー
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで食い物が売り切れてるんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、カップラーメンはお一人様3個まで、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、地震如きで普段食ってもいないカップラーメン買い占めてんじゃねーよ、ボケが。
3個までだよ、3個まで。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で12個買い占めか。おめでてーな。
よーしパパお米も2袋買っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからそのレジの列空けろと。
イトーヨーカドーってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
50%引きの売れ残りに集まった会社帰りのリーマンといつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと買えたかと思ったら、隣の奴が、トイレットペーパー持てるだけ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、トイレットペーパーなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、トイレットペーパー持てるだけ、だ。
お前は本当にトイレに篭もり続けたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい
お前、トイレットペーパーって言いたいだけちゃうんかと。
イトーヨーカドー通の俺から言わせてもらえば今、イトーヨーカドー通の間での最新流行はやっぱり、
万札で買い物、これだね。
万札で買い物、釣りは募金箱。これが通の頼み方。
万札ってのは福沢先生が多めに入ってる。そん代わり買う量が少なめ。これ。
で、もらった釣りは募金箱。これ最強。
しかしこれを頼むと次から店員にまた募金を期待されるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、はてなポイントでも送信してなさいってこった。

気晴らし

で、今日は休みになったので久々にツーリング。バイク板で見かけた奥利根方面に行ってみた。栃木から入って中禅寺湖〜金精峠を抜けて片品へ。粕尾峠も坤六峠も下りはきつい。てかそもそも下りのぐねぐね道は苦手。
今回スルーしたけど行ってみたい場所メモ: 大越路峠旧道、大清水小屋(R401端点)、矢木沢ダム
それと、Harukaの電源ソケットからナビに給電してみた。コネクタを納めてケーブルを引き回すのにサイドカウルを外す必要があるが、つながってしまえば非常に便利。ただ、ナビ専用のコネクタじゃなくてUSBの給電口を出すようにしたほうが汎用性が高そう。次の休みに改良しよう。