友人の死

友人のS氏が亡くなった。本日告別式。



彼とは10年来の付き合いだった…と思う。どこで出会ったのか、正直はっきりとは覚えていない。当時の私はMtGプレイヤーで、そのサークルの仲間に紹介されたのが最初だったと思う。
それ以来、年に何度か、彼を含む仲間達で旅行(という名のゲーム合宿)に行くのが恒例になった。当時沼津に住んでいた私が車を出し、メンバーが所有する別荘へ出かけて、そこで4〜5日間、呑んで食って持参したボードゲームを遊び倒すという生活。
彼はとにかくよく呑んだ。ビールは殆ど飲まず、専ら日本酒と焼酎とワインを好んでいた。7〜8人で合宿に行って、毎日2本はワインが空いた(そのうちの半分は彼が消費した)。加えて料理が上手かった。彼の指示した食材を調達し、彼が飯を作り、残りのメンバーで後片付けをする、というのがいつしか定番になっていった。

私が関東圏に転勤になり、車を売却し、MtGから足を洗っても付き合いは変わらなかった。その頃には他のメンバーも、遊ぶのはボードゲームが主体になってきていた。土曜に新宿に集まり、やっぱりゲームで遊んで、そして呑んで食って、ということを毎週のように繰り返した。
彼は相変わらず酒が強かった。呑んでも酔った様子が全くなかった、のか、あるいは常に酔っていたのか。彼に釣られるように、私達は皆酒が強くなっていった。というより、酒に強くない人は付き合ってられなかったのかもしれない。彼に勧められた茅台酒は、あまりの強さとクセのある香り故、最初は皆敬遠していたが、繰り返し呑むうちに慣れてきた。むしろ、他の白酒(パイチュウ)が呑めないぐらい贅沢になってしまった。数人で中華料理店に行った時は、全員で茅台酒を1瓶空けるのが普通だった。
相変わらず合宿にも行った。レンタカーを借りて別荘に行き、呑んで食って遊んだ。彼は電車で来ることも多かった。「車だと行き帰りに酒が飲めない」という理由で。同行した友人によると、特急の駅毎に車内販売の酒を買い足していたとか。新幹線に乗って長距離旅行した時には、車内販売のワインの瓶を売り切れにした、という武勇伝も聞いた。
そして彼は自由人だった。どういう訳か睡眠は殆ど取らず、飯は殆ど食べず(但し舌は非常に肥えていた)、常に酒を飲み、常に周りを巻き込んで騒いでいた。ゲームは正直それほど強くなかったが、それでもプレイするのは好きで、私達が長考するとすぐせっつき始めた。そもそもじっくり考える系のゲームは嫌いで、直感に従ってプレイしていたように思う。

転機は2年前だった。
その春、彼は突然会社を辞めた。当人は「会社がつまらなくなったから」と笑っていた。自由人な彼を知っていた私達は「まああいつだしな」と思っていた。彼が言うことはなかったが、本人もご実家も相当の資産を持っているようであったし、無職…というかニートになっても生活に困った様子は全くなかった。
そしてその年の秋合宿の夜、彼が倒れた。翌日病院に見舞いに行った際には面会謝絶だった。駆けつけていたお母様から、静脈瘤破裂だと聞かされた。つまり彼が会社を辞めたのは体調が理由だったのだと、後になって悟った。
幸い彼は回復した。後日、入院中の彼を再び見舞いに行った。ベッドで上体を起こした彼は相変わらずの口調だったが、それでも少し弱くなったように見えた。

しばらく後に彼は無事退院し、土曜の定例会にもまた顔を出すようになった。但し酒は止められていた。再度静脈瘤が破裂したら命の保証はない、と聞いていた。そもそも一度目の時も、もし救急車を呼ぶのを躊躇していたらやばかったらしい。
退院した彼は明らかに老けていた。顔つきが変わっていた。しわが増えていた。白髪も増えていた。酒は呑めないのに相変わらず飯を食わないので、正直どこでエネルギーを摂取しているのか不思議だった。
それでも自由人ぶりは相変わらずだった。一応ハローワークに顔は出していたらしいが、再就職する気はさらさら無さげだった。酒じゃなく辛いものを食べると、それがたとえ甘口カレーのレベルであろうとも、酔ったように愉快な行動を取り始めた(隣に座ってる奴に噛み付くとか)。

ある意味で、彼は徐々に回復したように見えた。いつしか酒もまた呑むようになった。その一方で、やはり行動には多少なりとも変化があった。飯は少し食べるようになり(とは言え常人の数分の一だが)、夜も少し寝るようになった。そして、土曜のミーティングに顔を出す頻度が下がった。釣られるように、ミーティングに人があまり集まらなくなり、開催頻度も下がった。
そして6月末を最後に、彼からのメールが途絶えた。しばらく前から、ミーティングの案内を流してもろくに反応が無かったので、それほど気にしていなかったのだが。もっとも、以前は夜中に迷惑メールを投げてくることも稀ではなかった。例えば、今どこそこで呑んでるから来い、ってのが深夜1時頃に。

7/21の午後。お母様から突然の訃報がメールで届いた。
以下、後から聞いた話。彼はご両親と離れて独居していたが、毎週日曜にはご家族が集まって食事をしていた。しかし、7月頭ぐらいから、ご両親のメールに返事が来なくなったらしい。その直前に彼が携帯を無くして交換しており、また彼がご家族を部屋に入れたがらなかったこともあり、始めは放っておいたのだが、それだけ長期になると心配になり、部屋を訪れたところ既に亡くなっていたそうだ。このご時世に、TVも電気もエアコンもつけっぱなしで。
訃報を聞いた私達は酷く動揺した。それと同時に、私はああそうか、とも思った。彼が老けたように見えたのは、年齢(私より10歳年上)だけでなく体のせいでもあったのだなと。これも後から聞いた話だが、彼は2年前から肝臓を痛めていたのだそうだ(むべなるかな)。それでも、彼の口からそれを聞いたことはなかった。だから、彼の生活からして、いつか体を壊して死ぬだろうなとは漠然と思っていた。ただ、それがこんなにも早く突然にやってくるとは、私達の誰一人として想像していなかっただろうと思う。

告別式にて、彼のお母様を始め、お父様やご兄弟と対面した。亡骸を発見した時のことも伺った。死因は結局よく分からなかったとのこと。
彼は仲間内でも一番のゲーム所有者で、彼の部屋には箱が山積みになっていたようだ。今となっては入手困難なゲームも多数あり、私達にとっては宝の山なのだが(そしておそらくご家族には無用の代物)、形見に引き取れないか? と伺ったら「臭いがついてしまっていて…」とのこと。つまりはそういうことだったのだろう。勿体無いったらありゃしねぇ。そんなところも奴らしいな、と思った。
告別式は寺で開かれたが、宗教が嫌いだった彼に合わせて無宗教形式で行われた。参列した私達友人一同は一言ずつ、金曜のうちにお骨になった彼に向かって別れを告げた。同様に宗教を信じていない私は、天国で安らかに、などとは言わなかった。つまるところ葬式は遺された生者のためのものだ。
式後の宴席で、彼の弟さんの音頭で(あえて)「乾杯」した後、弟さん妹さんに、私達が知っている彼の姿を話した。彼はご家族には友人関係のことをあまり話していなかったらしく、上に書いてきたような思い出話を興味深そうに聞いてくださった。逆に、残念だが私は彼の家庭での姿を知らない。ただ、彼はご親戚からは非常に可愛がられていたとのことで、それは私にも「そうだろうな」と思わせることであった。

以上、彼との出会いから別れまでの、私の思い出を綴った。事実関係に誤りがあればご指摘ください > 友人各位
独り者だった彼は、自他共に(ご家族も)認める自由な生活で半世紀ほど好き勝手に生き周りを振り回した挙句、ひっそりとあっけなく逝ってしまった。知らない人から見れば「ニート孤独死」。だが、彼がどう思っていたかはともかく、ある意味で羨ましい生き方・死に方ではあった。自分がそう生きたい・逝きたいかは別として。
だから私は、やかましかった彼のことをたまには思い出しながら、少し寂しくなった世界で何とかやっていくのだ。
さよなら、Sさん。